大学の先生と話しているとき、大阪万博の再来はあるのか?という話になりました。候補地に立候補していたパリは1月下旬に立候補を取り下げ。2025年国際博覧会の候補地として残っているのはアゼルバイジャンの首都バクーと、
ロシアのエカテリンブルグと、
大阪の三都市。大阪は舞洲が有力候補みたいですね。
先生は「ライバルのパリが立候補取り下げたことで大阪はだいぶ有利になったけど、それでも70年万博みたいなあの熱狂は無理だろうなぁ・・」と、当時の思い出を話してくれました。
「大阪万博が開催された1970年、私は中学二年生。当時私は東大阪市に住んでいたんだけど、神崎川に住む叔母の家によく世話になって、東大阪、神崎川、吹田を行き来したもんだよ」
「叔母の向かいの家に女子大生の娘さんがいてね。その娘さんは万博期間中コンパニオンをやっていたんだ。あの当時、若くて器量の良い娘はみんな万博の手伝いに行ってね。よく叔母が「私もあと10年若かったらコンパニオンのお声がかかっていた」なんて言ってたけど、今思うと10年じゃぁちょっと厳しかったな(笑)」
「ある時友達と一緒に行ったとき、はぐれた子を捜す親がいて、しばらく行ったところに迷子の女の子を見つけたことがあってね。友達は急いで親を呼びに行き、私は女の子をあやして、無事再会したこともあったんだ」
先生は昨日の出来事のようにどんどん万博のエピソードを話し、私たちはそれに聞き入ってしまいました。テレビや映画、書籍では1970年に大阪で熱狂的な万博があったことは知っているけど、その時代を経験した人の話はリアルでとても面白いです。
「吹田にある万博記念公園は行ったことあるかな?たぶん君たちみたいな若い人はエキスポシティの方が楽しいと思うけど、公園の中に70年万博の記念館があるから一度行ってみるといいよ。もうじき太陽の塔の内部が公開されるから、落ち着いたころに記念館と一緒に行くと当時の雰囲気を味わえるんじゃないかな」
先生、ズバリ今年の1月エキスポシティに行きました・・!(笑)
その時は万博記念公園はスルーしていましたが、先生の話を聞いて70年万博に興味が湧いたので、春休みに一度行ってみようと思います。行ったらまたブログで紹介します!